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横浜地方裁判所小田原支部 昭和46年(ワ)117号 判決 1973年5月30日

原告

近藤玲子

ほか二名

被告

村田英夫

ほか一名

主文

被告らは原告近藤玲子に対し金五二万一七五〇円及びこれに対する昭和四六年六月二〇日より年五分の割合による金員を支払え。

原告近藤玲子のその余の請求並びに原告近藤不二男、同近藤寿子の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用についてはこれを三分し、その一を被告らの、その余を原告らの負担とする。

この判決は、原告玲子において金一〇万円の担保をたてたときは、仮に執行することができる。ただし、被告らにおいて原告玲子に対し金四〇万円を担保に供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一(原告らの申立)

一  被告らは連帯して

(1)  原告近藤玲子に対し金六七三万二九五〇円及び内金五九四万二九五〇円に対する昭和四六年六月二〇日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を。

(2)  原告近藤不二男、同近藤寿子に対し夫々金七七万円及び内金七〇万円に対する同日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに右一項につき仮執行の宣言を求める。

(被告らの申立)

原告らの各請求をすべて棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

旨の判決並びに仮執行免脱の宣言を求める。

第二原告らの請求原因

1  事故の発生

一  原告近藤玲子は、次の交通事故によつて左記(八)記載の如き傷害をうけた。

(一) 発生時 昭和四五年七月三一日・午前四時四五分頃。

(二) 発生地 栃木県小山市大字羽川五一七番先国道四号線上。

(三) 発生場所の状況

直線且平担な歩車道の区別のないアスフアルト補装道路で、見透良好の非市街地道路である。

(四) 事故区分 加害車両が道路のセンターラインを超え対向車線に侵入し、対向中の被害車両と正面衝突したもの。

(五) 加害車両 登録番号、及び車種

相模5に四九七号・普通乗用車

運転者 被告村田斉男(当二四年)

同乗者 原告近藤玲子(当二三年)

(六) 被害車両 登録番号、及び車種

秋田4あ二三―八三号・普通貨物自動車

運転者 吉田正一(当二四年)

(七) 被害者氏名、姓別、年令、職業

原告近藤玲子(当二三年)・加害自動車の同乗者、未婚女子、会社役員兼洋裁業

(八) 原告近藤玲子の被害の区別及び傷害の部位程度

顔面挫創、脳挫傷、右足第二指、第一指関節脱臼等治療約六ケ月を要する傷害

(1) 入院

(イ) 事故当時より昭和四五年九月一六日まで四八日間、栃木県小山市城山町二丁目七番一八号杉村病院に入院

(ロ) 昭和四五年一〇月二二日より同年一一月四日まで一四日間、神奈川県足柄下郡湯河原町宮上所在・厚生年金湯河原整形外科病院に入院

(2) 通院

その後翌昭和四六年一月二六日まで国立横浜病院に通院

(3) 後遺症

頭痛、頸部痛、脳波異状、歩行障害、左半身不全麻痺等自動車損害賠償保障法施行令第二条2の(ロ)の定むる後遺障害の等級(昭和四五年一〇月一日施行、昭和四四年一一月一日以降の事故に適用)第七級の後遺症

2  責任原因

(一)  被告らは各自つぎの理由により、原告らの被つた損害を賠償する責任がある。

(1) 被告村田英夫は、加害車両を所有し自家用に供していたものであるが、本件は同被告保有の右乗用自動車の運行により原告玲子の身体を害したものであるから、自動車損害賠償保障法第三条により、これによつて原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告村田斉男は、後記のような過失によつて本件事故を発生させたものであるから、民法第七〇九条により原告らに対し損害を賠償する責任がある。

(二)  被告村田斉男の過失

被告村田斉男は、当時睡眠不足且交通が比較的閑散のため眠けを覚え、前方注視が困難な状態になつたので、ただちに運転を中止すべき注意義務があるのに、前記状態のまま運転を継続していた過失がある。

3  損害

(一)  損害の種類及び金額 別表第一のとおり

(二)  慰藉料算定につき特記すべき事項は、つぎのとおりである。

(1) 原告近藤玲子は、横浜成美学園高等学校を経て東京デザイナー学園商業デザイナー科に進み、昭和四三年九月同学園研究科を卒業後同月アテネフランセ英会話課に籍をおき、英会話を修める傍ら、劇団「道」に所属して一時演劇活動に従事し、次いで昭和四四年六月友人牧野内康久、酒井洸等と共に、広告物の企画・製作を目的とする有限会社クリエイテイブエージエンシイ・キキを設立して取締役に就任し、同会社の商業デザイン部門を主宰して漸く世に認められるに至つた。ところが本件事故のため、同原告自ら長期にわたつて職場から離れたため、右会社は事実上閉鎖状態に陥り、同原告は生活費の収入源を失つた。一方本件交通事故により被つた傷害は、約六カ月間の治療により一応治癒したが、頭痛、頸部痛、脳波異状等の後遺症が残つて、その治療になお二カ年間を要する見込に加えて、左半身不全麻痺の後遺症は、何時治癒するか確実な見込が立たない状態で、現在著しい歩行障害に苦しみつつある。その上左手の自由を殆んど喪失した同原告としては、かねて希望と抱負に燃えて選んだ商業デザイナーの生業までもあきらめて、他の軽易な労務の職業に転ずる外なく、原告の前途は全く暗たんたるものとなつた。

(2) 原告近藤不二男は原告玲子の父、原告近藤寿子は母であるが、本件交通事故により原告玲子の被つた傷害が極めて重篤なもので、一時は生命の保持さえ危虞される状態であつたので、原告不二男、同寿子共に、杉村病院に泊り込みで原告玲子の看護につとめ、自らの生命を断たれるような思いをしたのみか、経済的にも多額の失費を余儀なくされた。そして原告玲子の外傷は、六ケ月余に亘つた治療により一応治癒したが、左半身不全麻痺の後遺障害が残り、未だに部屋の中の歩行さえ自由にできず、常時監護を要する状態で、将来の身の振り方はいう迄もなく、果して世間並みの結婚生活に入ることができるかどうかさえ危虞せられ、親としての精神的苦痛は、原告玲子の生命侵害の場合に比べて決して劣るものではない。原告不二男、同寿子の両名の右精神的苦痛に対する慰藉料は、各金七〇万円が相当である。

(三)  損害のてん補はつぎのとおり

(1) 被告らより任意弁済金 金九一万〇三三六円

(2) 自賠責保険金 金二〇九万円(自賠責法による後遺症保障金)

(3) 充当 右(1)(2)をもつて弁護士報酬以外の原告玲子の損害金に充当

4  結論

よつて、原告らは被告らに対し、別表第一記載の金員及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四六年六月二〇日以降右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴に及んだ。

第三被告らの答弁

1  原告らの請求原因事実に対し、

一  事故の発生について

(1) 同項一のうち、(一)ないし(六)記載の事実は認める。

(2) 同項一の(七)のうち、原告近藤玲子が会社役員兼洋裁業であるとの点は不知。その余の事実は認める。

(3) 同項一の(八)のうち、通院期間(乃至通院実日数)、及び後遺症の詳細は、いずれも不知。その余の事実は認める。

二  同2、責任原因に関する原告らの主張事実は認める。

三  同3、損害について

(一) 損害額明細書記載の各損害事実については別表第二記載のとおりである。

(二) 3の(二)記載事実のうち、原告近藤玲子が、牧野内康久らと一時広告物の製作などをしていた事実は認めるが、その余は不知。

原告玲子の将来の喪失利益の主張について、同玲子が商業デザイナーとしてその商業デザイン部門を主宰したという有限会社クリエイテイブエージエンシー・キキは、結局当初から企業としての実体がなく採算もとれておらず、遅くとも本件事故当時までには、既に実質上消滅していたものである。

(三) 損害の填補について

(1) 被告らが原告らに対し金九一万三三六円を支払つた事実並びに右支払額中、金七一万〇三三六円を、別表第二記載のイないしヘに支払充当したことは認める。なお被告らは右のほか同表のト、リ、ヌの各費用内金として金二万円を支払つている。

(2) 原告近藤玲子が、自賠責保険金金二〇九万円を受領した事実は認める。

2  被告らの反論並びに主張

(一)  (本件事故発生に至る経緯)

(1) 原告近藤玲子は昭和四五年七月三〇日夜(本件事故発生前夜)、自宅において偶々来訪していた友人の訴外柴田東作及び被告斉男とともに、日光へ夜行日帰りドライブをすることを思いつき、慎重に路程などを考慮することなく、軽々にその実行を決めた。

(2) そして、右三名は、直ちにその場において約二時間仮眠をとつたのち、同日午后一一時三〇分頃、右柴田運転の自家用普通乗用車(サニー)及び被告斉男運転の本件車両の二台に分乗して原告方を出発した。

(3) その際、原告玲子は自らの選択により被告斉男運転の車両に同乗したのである。

(4) 右ドライブの計画は、原告方自宅において企画され、原告玲子の母である原告寿子において積極的に慫慂されたものである一方、被告英夫の全く与り知らぬ間に企画、実行されたものであつて、被告英夫は本件事故の発生によりはじめて本件ドライブの事実を知つたものである。

(二)  以上(一)によれば、その事実関係は、

(1) 原告玲子は、自ら企画、実行した本件ドライブの途上にあつたものであり、いわゆる単なる便乗型好意同乗者ではなく、むしろ、被告斉男とともに自ら共同して運行供用者的地位にあつたものであること、

(2) 原告玲子は、被告斉男の仮眠が二時間程度であり、未だ休養が十分でないことを知り、深夜の遠距離ドライブの危険を承知しながら、敢えて被告斉男運転の車両に自らすすんで同乗したものである。

(三)  被告村田英夫の責任

被告英夫は園芸業としてカーネーシヨン、バラなどの花を栽培、販売することを業として営んでいるものであり、本件事故当時その業務に供する目的で本件車両を所有、管理していたのであるが、同被告は本件車両が本来の用途を逸脱し、自己の管理をはなれて、被告斉男の私的関係から原告玲子らと企画、実行された本件ドライブに用いられた事実を全く知らなかつたものである。

そうすると、被告英夫は、本件事故の対向車たる被害車両の運転者及びその同乗者に対する責任についてはともかく、少くとも原告玲子らに対する関係では、運行供用者責任を負担すべき地位にないものというべきである。

(四)  被告斉男の責任

前記のとおり、もとより原告玲子は、被告斉男の睡眠不足、休養不十分、疲労の状況を知りながら敢て、深夜の遠距離に亘る本件ドライブを共同して実行し、その危険を承知して本件車両に同乗したものであるから、かかる状況の下において発生した本件事故につき、原告玲子らの被告斉男に対する本件損害賠償請求は権利の濫用である。

(五)  過失相殺

(1) 原告玲子は前記の状況のもとにおいて、その危険を知りながら、被告斉男の運転を阻止することなく、これに同乗し自らは乗車後安閑として眠り込んでしまつたものであり、

(2) 原告寿子は、原告玲子ら若年者のかかる無謀な企画を阻止するなど適切な忠告をなすべき立場にありながら、かえつてこれを慫慂したのであつて、

(3) これら原告らの一連の行動は、本件事故発生の危険を著しく高めたものであり、その他本件における諸事情とともに損害額の算定にあたつて、信義則若くは公平の見地から相当程度斟酌されるべきである。

(六)  損益相殺及びその他損害額の算定に際し斟酌されるべき事実

被告らは原告玲子に対し、相当の見舞などを道義上当然のこととしてなしたほか、原告主張の金員並びに前記1の三の(三)記載の損害填補をなし、更には、その損害の填補として次のとおり役務を提供した。

即ち、被告らは、原告玲子が小山市所在の杉村病院に入院中、被告英夫の妻セツ、長女百合子をして原告玲子に付添わせ、右百合子は右期間中ほとんど毎日買物などをなし、右セツは洗濯をしたほか、同人らにおいて原告玲子の身の廻りの世話、歩行訓練などに至るまで相当の役務を提供した。

また、原告玲子が厚生年金湯河原整形外科病院に入院中も、被告らは右百合子をしてしばしば付添をなさしめた。

よつてこれらの事実は損害額算定上斟酌されるべきである。

第四過失相殺の主張に対する原告の反論

1  本件事故発生の前夜原告らの家で原告玲子とその友人の訴外柴田東作及び被告斉男の三名が日光にドライブすることになつたことは認めるが、右ドライブは右三名の間でいろいろ話合の結果決められたもので、被告ら主張の如く、原告玲子が発意して実行を決めたものではないし、原告寿子がすすめたようなこともない。

2  又右の三名が原告等の家で睡眠をとつた(その時間は約三時間である)後自動車で出発したことは認めるが、被告等主張のように当初から三人が二台の自動車に分乗して出発したものではない。即ち最初は原告寿子から特に交通事故予防のため「一台の自動車に三人が乗つて、柴田と被告斉男とが交互に運転するようにしたらどうか」との注意もあつて、右柴田の自動車サニー一台に三人が同乗し、これを柴田が運転して同日夜一二時過に原告等の家を出発したのであるが、小田急六合駅近くまで行つてから、女子の友達をもう一人誘い、柴田の自動車と被告斉男の自動車の二台で行くことに話が変ると共に、途中自動車内で睡眠する者のため防寒具を用意して行こうと言うことになつて、一旦引返し、本件加害車両(相模5に四九七号普通乗用車)に乗り込み、原告玲子が本件加害車両に同乗し、これを被告斉男が運転して柴田の運転するサニーと共に発進するに至つたもので、原告玲子が本件加害自動車に同乗するに至つたのは原告玲子の選択によつたものではない。

第五証拠〔略〕

理由

一  原告らの請求原因事実中1の一の(一)ないし(六)の事実、原告玲子が事故当時二三才の未婚の女性で、加害自動車に同乗していた事実、本件事故による傷害の部位程度及び入院の場所、期間が、いずれも原告主張の1の一の(八)の(イ)記載のとおりである事実、被告らの本件事故の責任が、同2の(一)、(二)記載のとおりである事実はいずれも当事者間に争いのないところである。そうだとすれば、被告らはいずれも本件事故についての責任があるものというべきである。

(被告英夫は本件車が本件ドライブに使用されることは全く知らず、その使用方法は本来の目的を逸脱した旨主張するも、同被告が、その保有する車の使用内容を事前に知つているか否かは、直ちにその責任を免れる事由にはならないし、また同被告の主張するような使用方法が保有者の責任阻却するような内客のものとは到底考えられない。

従つて、右主張はそれ自体失当というほかはない。)

二  原告玲子の蒙つた積極的損害について

(一)  原告玲子が本件事故により蒙つた傷害の部位程度及び入院、通院の場所並びに期間については、前記当事者間に争いのないところであり、さらに杉村病院入院治療費、厚生年金湯河原整形外科病院入院治療費、国立横浜病院治療費、氷代、丁字杖代、付添婦報酬、付添婦用ボンボンベツト代、家族付添四七日間の費用並びに入院諸雑費がいずれも原告主張のとおりであることはいずれも当事者間に争いのないところである。

(二)  さらに、〔証拠略〕によれば、原告玲子の入院中のオシメ代(一組金三五〇円、一日平均四組、三〇日分)が合計金四万二〇〇〇円、国立横浜病院及び厚生年金湯河原整形外科病院への交通費が合計金一万四四八〇円、入院に際しての医師及び看護婦に対する謝礼の費用が金一万二〇〇〇円、病人用室内自転車代が金二万八〇〇〇円、本件事故による歯の矯正入歯代が金一万五〇〇〇円、視力減退(視力一・〇ないし〇・八であつたが〇・二に低下)のためメガネ購入代が金一万四〇〇〇円を夫々要したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。従つて以上を合計すると金九一万五六〇八円となる。

三  原告玲子の休業による喪失利益

〔証拠略〕(自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書)並びに鑑定の結果によると、原告玲子は昭和四六年一月二三日症状固定し、その当時の情況のもとにおいては後遺障害の等級は七級である旨の認定を受け、さらにその後昭和四八年一月九日現在においては症状好転し、九級の認定を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうだとすれば、同被告は受傷した昭和四五年七月三一日より症状が固定するに至つた同四六年一月二三日頃(尤も前記争いのない事実によれば、同月二六日まで通院していたというのであるから、その期間は大体五カ月と考えてよい。)までは、その喪失率は全損と見られる。そして同原告の一カ月の収入については、明確な立証はないけれども、〔証拠略〕によれば、原告玲子は昭和四一年三月横浜市私立成美学園高等学校卒、同年一二月アテネフランセ英会話科卒、同四三年三月東京デザイン学院商業デザイン科卒、同年一〇月社団法人テレビタレントセンターTTC教室卒、多摩美術大学教授日本画伯市川保道に入門、東京造形大学桑沢デザイン教授朝倉アトリエに入門等の経歴を経て、川崎市山田昌良美術サークル絵画指導担当、大阪赤ちやん本舗東京支社デザイン部所属、渡辺プロダクシヨン所属等の職歴があり、なお、同四四年四月には有限会社クリエイテイブエージエンシー・キキを設立(但し、同四六年九月解散)、その他防火ポスターコンクールに二度入賞等の実績を有していることが認められ、これに反する証拠はない。そうだとすれば、少くとも〔証拠略〕の昭和四三年平均年令別給与額(月額平均、含臨時給与)・・・・全企業の女子有職者の賃金以上の収益は得られたであろうことは当然推認しうるところである。(現実に原告玲子が右の当時収入を得ていたことではなく、将来右の経歴からすれば、それ以上の収益を取得するであろうことが十分予想しうるとの趣旨である。)そして同原告が事故当時二三才であつたことは、前記当事者に争いのないところであるから、右表によると月収は金三万三五〇〇円である。そこで前記のとおり全損を五カ月と見ると損害合計額は金一六万七五〇〇円となる。

四  次に後遺症による喪失利益について

前記のとおり、原告玲子の症状が固定したのが昭和四六年一月末頃であるとすると、それ以降の症状は後遺症ということになるのであるが、その後遺障害等級は前記認定のとおりである。これと後記認定のような具体的症状を考え合せ総合してその喪失利益を判断すると、能力喪失の割合は五〇パーセント、その期間は七年間と見るのが相当であると思慮する。そうすると、その喪失利益の総額は金一四〇万七〇〇〇円となる。

五  過失相殺について

〔証拠略〕によれば、原告玲子は事故前日の昭和四五年七月三〇日被告斉男、柴田東作と共に横浜の喫茶店でドライブに行くことを計画し、さらに同女方に集つて相談の結果日光の先の方に行くことを決定し、玲子の母原告寿子は、そのことを知つて旅費として金一万円を右玲子に渡していること、被告斉男はドライブに出かけるまでに約二時間しか仮眠しておらず、翌三一日午前〇時三〇分頃、原告玲子の家を出発し、始めは前記柴田の車一台に三人同乗したのであつたが、誰云うとなく、一台では疲かれたときに寝られないということで途中から引き返えし、被告斉男の車も加えて二台で再び出かけることになつて、原告玲子は斉男の車に同乗したものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうだとすれば、原告玲子は被告斉男が二時間位しか仮眠していない状態で藤沢の原告ら方から日光の先の方まで長距離ドライブする危険な計画に自ら参画し、しかも始めは一台で三名同乗していたのであるから、被告斉男と柴田が交互に運転することにより休養することができたのに、敢えて中途から引き返えして二台に分乗し、危険が増大する状態となることを了承していたものと推測される。

右の情況のもとにおいて、被告斉男が睡眠不足による居眠り運転が原因となつて発生した本件事故においては、少くとも原告玲子に対する関係から見た場合、その損害賠償の責任を挙げて被告斉男にのみ負わしめるのは社会観念上も相当ではなく、好意同乗以上のものとして原告玲子においても一端の責任を分配せしめるのが至当であると考える。

そこで、以上の点彼此考え合せると、右責任分配の割合は原告玲子において二、被告斉男において八とするのが妥当というべきである。従つて前記逸矢利益の損害金二四九万〇一〇八円の八割金一九九万二〇八六円(円以下四捨五入)が被告らの支払うべき責任となる。

六  原告玲子の慰藉料について

前記争いのない本件事故の情況、同原告の傷害の部位程度、病院での入院通院の期間等の事実及び前記認定の視力減退、歯の矯正をせざるを得なかつた状況、さらに同原告の経歴等から将来相当有義な仕事に従事し得たであろうのに本件事故により、挫折したこと、同原告が被告斉男の車に同乗するまでの事情並びに〔証拠略〕によれば、原告は本件事故後約五日間は意識不明で、また一週間位は口がきけず、眼が見えるようになつたのは二〇日位経つてからであること、杉村病院にはリハビリテーシヨンの設備がないので、医師のすゝめにより厚生年金湯河原整形外科病院に転院し、その時点では一人では歩けず、物につかまつてつたい歩きができる程度であつたが、同病院で杖によつて歩く訓練をすることにより或る程度杖を使えば一人歩きができるまでになつたのであるが、同病院に入院中精神的にノイローゼ状態に陥り、治療なかばにして二週間位で退院し、その後は国立横浜病院に通院するようになつたが、そこの医師からは足が完全に治るとは云いきれない、びつこを引く程度にしか治らないといわれ、杖がとれて歩けるようになつたのは昭和四六年四月頃であつたこと、特に右手に力が入らず、物を持つ力が弱いので、デザイナーとしての仕事は断念せざるを得ず、物事にあき易く根気がなくなつたこと、原告玲子は事故の一週間位前に結婚の話があつたが、その話は一旦は断つたが、事故後再度後遺症があつても面倒をみるから結婚して欲しいとの話があつて、最近結婚にふみ切り、現在は、家事位はなんとかゆつくりとならできるようになつたことが認められ、また鑑定の結果によれば、昭和四八年一月九日現在の症状は、左上肢の運動がやゝ不自由で複雑な動作はできにくい。正常な歩行はできるが速く歩くことはできない。視力も低下(Vd=〇・二VS=〇・三輻輳不全)し、これは頭部外傷の後遺症状とみられる。ごく軽度の左半身不全麻痺、握力は左12、右13、妊娠は可能、脳波は軽度の異常がみとめられ一般平均女性の労働能力はあるが熟練を要する職業にはつけない。後遺障害の等級は九級に該当する。以上の諸事実が認められる。

右の事実、その他諸般の事実を綜合すると、原告玲子の本件事故による精神的損害についての慰藉料は金一五〇万円と見るのが相当である。

そうだとすれば、右損害賠償全額は金三四九万二〇八六円ということになるのであるが、被告らより本件事件の損害金として金九一万〇三三六円が支払われ、また原告玲子は自動車損害賠償の保険金二〇九万円を既に受領していることは、当事者間に争いのないところであるし、さらに〔証拠略〕によれば、原告玲子が杉村病院を退院する際に、被告らから車代或は雑費として金二万円の支払を受けていることが認められる。

そこでこれらを右金三四九万二〇八六円から差引くと金四七万一七五〇円となる。

七  原告玲子の弁護士費用

右のとおり、同原告は被告らに対し金四七万一七五〇円の損害賠償請求権を有するところ、被告らにおいてこれを任意に弁済しないため、同原告としては、自己の権利擁護のために本件訴を余儀なくされ、しかも訴の性質上、当事者のみで遂行することは極めて困難と認められる。そして同原告が弁護士宮崎保興に対し本訴の提起並びにその追行を委任したことは、弁論の全趣旨より明らかであるので、本件事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を斟酌した上、相当と認められる額は、本件交通事故と相当因果関係に立つ損害と解するところ、本件における諸般の事情を考慮し、前記当裁判所が認容した額の約一割金五万円が相当であると思慮する。

八  原告不二男、同寿子の慰藉料について、

原告玲子の本件事故による受傷について、親として多大の精神的苦痛を受けたことは、右原告らの各本人尋問の結果によつて明らかなところであるけれども、しかし前記の原告玲子の傷害の部位程度、入院通院時の状況並びに後遺症の状況等を綜合して見るとき、未だ同原告が生命を害された場合にも比肩すべきか、または右の場合に比して著しくは劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものとまでは認め難い(最高裁昭和四二年六月一三日民集二一・六・一四四七、同四三年九月一九日判例時報五三五・五七)。従つて直ちに同原告らに対し慰藉料請求権があるものとは認められない。そうすると同原告らの弁護士費用についての請求もまた同様である。

九  以上のとおりであるから、原告玲子の請求中被告らに対して金五二万一七五〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日たること本件記録上明らかな昭和四六年六月二〇日より民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は、正当であるからこれを認容し、その余の部分並びに原告不二男、同寿子の請求はいずれも失当であるからこれらを棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、また仮執行及び仮執行免脱の宣言については同法一九六条を夫々適用し、よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 安間喜夫)

別表第一

Ⅰ 原告玲子の損害

(1) 積極的損害 198,178円

内訳

入院治療費・その他

610,446円 杉村病院入院治療費

25,574円 厚生年金湯河原整形外科病院

入院治療費

30,278円 国立横浜病院治療費

13,200円 氷代

800円 T字杖代

36,680円 付添婦報酬

2,850円 付添婦用ボンボンベツト代

43,406円 オシメ代(1組350円1日平均4組31日分)

51,700円 家族付添費47日間、1日1,100円

18,600円 入院(62日間)中諸雑費

14,480円 国立横浜病院及び湯河原厚生年金病院交通費

12,000円 医師、看護婦に対する謝金

23,500円 病人用室内自転車代

15,000円 事故による歯の矯正入歯代

10,000円 事故による視力減退のためのメガネ購入代金

合計 908,514円

以上の内710,336円(被告の任意弁済金910,336円の一部)を充当

差引 198,178円

(2) 喪失利益 4,934,772円((イ)+(ロ))

(イ) 休業による喪失利益 62,500円

昭和45年8月1日以降昭和46年5月末日迄10カ月間の休業期間中の喪失営業収入、1日につき1,050円(自動車損害賠償責任保険損害査定要綱・実施要綱・昭和44年11月1日施行の政令において家事従業者について定める最底700円の5割増)1カ月稼働日数25日として次の算式により算出1,050円×25(日)×10(月)=262,500円以上の内200,000円で被告の任意弁償金910,336円の一部を充当

差引 62,500円

(ロ) 将来の喪失利益 4,872,272円

事故時年令 23才

推定余命 50、59才(厚生大臣官房統計調査部編 第11回生命表)

収入(毎月) 33,500円(23才女子平均1ケ月賃金)

労働能力喪失率 56%

その存すべき期間 一生

就労可能年数 40年(政府の自動車損害賠償保償事業損害査定基準・昭和42年11月1日改訂による)

ホフマン式係数 21、643

算式

33,500×12×21,643×0.56=4,872,272円

(3) 慰藉料 3,000,000円

但し自賠責保険金2,090,000円を充当

残金 910,000円

(4) 弁護士報酬 手数料 100,000円

謝金 10% 590,000円

以上(1)乃至(4)合計 6,732,950円

Ⅱ 原告近藤不二男の損害

(1) 慰藉料 700,000円

(2) 弁護士報酬 10% 70,000円

以上(1)(2) 合計 770,000円

Ⅲ 原告近藤寿子の損害

(1) 慰藉料 700,000円

(2) 弁護士報酬 70,000円

以上(1)(2) 合計 770,000円

別表第二

<省略>

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